Photo : Daiki Suzuki
Text : Masahiro Minai (Runners Pulse)
Edit : Shin Kawase
FILA CHERISH THEIR ITALIAN DNA ! Part2
~SHOES MASTER Web SPECIAL EDITION~
Tour of Milan Italian sneaker shop
ここミラノでもディスラプターは
良好なセールスを記録
イタリアはフィラの発祥の地であるだけに、ミラノでもリナシェンテのような百貨店から、フットロッカーやサイズといったスニーカー専門店まで、数多くのショップでフットウェア&アパレルを取り扱っていた。そして、そのいずれでも良好なセールスを記録。フィラというブランドがイタリアのライフスタイルに根付いていることを感じた。
Foot Locker
ミラノ随一の観光地であるドゥオモ(大聖堂)そばのフットロッカーでは、シューズとアパレルの両方でフィラがコーナー展開されていた。
cisalfa
イタリア全土で展開するスポーツ用品チェーンのチザルファでもフィラはしっかりと展開。
size?
ロンドンのコベントガーデンなどで展開するサイズがミラノに進出。ここでもフィラはフットウェア、アパレル、キャップなどのアクセサリーを展開し、シューズの売り上げベスト3にディスラプターの2モデルがランクインするなど、同店にとってフィラは重要な存在であるという。
AMEDEO D
ミラノのスポーツファッション好きが集まるアメデオ Dでも、フットウェア、アパレルの両方でフィラは注力アイテム。スタッフの足元にもディスラプターが!
ONE BLOCK DOWN
ミラノの先端を行くスニーカーフリーク必訪の地とされるワン ブロック ダウン。独特の選択眼でセレクトされたプロダクトがスタイリッシュな店内に並ぶが、もちろんフィラも展開されている。
Visiting Biella, the place of establishment.
This small town is still important for Fila.
我々は、フィラのもう一人のキーパーソンに会うためと、過去の膨大なアーカイブを収蔵するフィラ博物館を取材するためにミラノからほど近いビエラに移動した。
SPECIAL INTERVIEW WITH
FILA KEY PERSON 2/2
これまで20年以上という長きに渡り、フィラというブランドで働いてきたグローバルマーケティング ディレクターのバーバラに、同ブランドで働いていて印象に残っていることと、このブランドが他ブランドより優れている点を語ってもらった。
BARBARA MORA
FILA Director of Global Marketing
バーバラ・モーラ
フィラ グローバルマーケティング ディレクター
イタリアンDNAだけは現在も
しっかりとキープしていると思います。
大学では心理学を専攻していました。卒業後しばらくは他の会社で働いていましたが、フィラの中興の祖として知られるエンリコ・フラッシー氏がマーケティング担当を探しているということを聞いて、1996年末にフィラに入社しました。広告やマーケティングを担当したのち、小売管理やセールス部門にも移動するなど、様々な経験を積んだことは自分にとっての糧になりました。そして5年前にマーケティング部門に戻ってきて、現在はグローバルマーケティング ディレクターとして、フィラというブランドの素晴らしさを世界中に伝える活動を行っています。イタリア人だから、子供の頃から誰もが親しみを持つ会社に入れたことは嬉しかったですね。入社以来、イタリアが世界に誇るアルペンスキーヤーであるアルベルト・トンバ、グランドスラム大会を6度制したボリス・ベッカー(ドイツ)といったプレーヤーと仕事をすることができたのは、本当に貴重な経験でした。私がフィラというブランドの魅力として、いつも一番に挙げるのは、ロゴです。もちろんプロダクト自体も素晴らしいのですが、フィラのシンプルなデザインのロゴ、Fボックスロゴは、私の心を捉えて離しません。ここまで完成度の高いブランドロゴは滅多になく、フィラにとっての大きな財産ですし、このロゴが存在しているからこそ、私がフィラを辞めなかった理由といっても過言ではありません。
あともう1つ挙げるとしたらイタリアンDNAですね。会社自体の所有は紆余曲折ありましたが、このイタリアンDNAだけは現在もしっかりとキープしていると思います。そのために、このビエラの地に過去のアーカイブを保管するミュージアムを開設したのです。この規模のアーカイブを所有しているブランドはないと思いますよ。かと言って、過去だけに固執しているわけではなく、新進気鋭のデザイナー、ゴーシャ・ラブチンスキーとのコラボレーションを実現させたように、新たな取り組みにもチャレンジしている点も大きな魅力だと思います。スポーツブランドとしてのDNAを若きロシア人デザイナーが巧みに、ファッションとしてのエクセキューションに変化させてくれたのです。今後もこういった魅力的なコラボレーションを発表していき、フィラというブランドをより高めていきたいですね。
Fondazione
FILA museum
フィラが創業したのは1911年のこと。ミラノから車で1時間半ほどの距離に位置するビエラでフィラ兄弟が創業した。本社機能は別の地に移されているが、現在ビエラには過去の膨大なアーカイブを収蔵するアーカイブスペース、フィラ博物館が設けられ、同社のDNAを受け継ぐのと同時に、デザイナーたちのインスピレーションの場としても活用されているという。
フィラはスポーツウェアに参入する前は綿の下着などを製造していた。
トッププレーヤーが実際に着用したウェア類も展示。
1990年代にリリースされたオリジナルのディスラプター。このモデルのデザインを基に、現在大ヒットしているプロダクトが誕生した。
1980年代にリリースされた日本製のテニスシューズ。
アパレルも所狭しと収蔵されているが、コレクション毎に整理整頓されている。
当時のデザイナーが手描きで描いた貴重なデザイン画やシューズの設計図も収蔵されている。
シューズはパッキングされて、年代とカテゴリー別に収蔵。
カタログ類も収蔵。これらは資料として貴重なだけでなく、アーカイブを整理する際の指標となるだけに、その点でも重要な存在だ。
編集後記
「最近、フィラがストリートシーンで盛り返しているらしい!」そんな情報を得たのは、去年の春の頃だったと思う。日本ではまだまだその兆候は見られなかったから、当初は「ホントかな!?」と思ったが、その後も海外出張から帰国したファッション業界関係者から同様の話を聞き、俄然興味が湧いた。そんなタイミングで今回のイタリア訪問が決まったので、まさに興味津々であった。実際にミラノに到着し、市内を散策すると、ファッションセレクトからフットロッカーのようなスニーカー専門店、チザルファのようなスポーツ店まで、しっかりとフィラが展開されていた。そしてキーパーソン二人をインタビューして、復活の要因が理解できた。共通していたのは、プロダクト開発にしろ、マーケティング活動にしろ、イタリアブランドとしてのDNAをキープしつつ、新たなファクターを巧みにミックスするということである。最近の若い世代はモノのルーツや生産国にこだわらなくなったというが、この部分を疎かにしたブランドは、ほぼ消滅している。一方で伝統ばかりに固執したブランドも同様だ。フィラは自らの軌跡を再確認するために発祥の地ビエラにフィラ博物館を設け、新たな可能性を追求するために、様々なブランドやショップとのコラボレーションにもチャレンジしてきた。今回イタリアを訪れて、そうした活動の結果、ディスラプターのようなヒットモデルが登場し、ストリートシーンで復活することができたということを理解した。そして付け加えると、11月に訪れたニューヨークでは、ソーホー、ウイリアムズバーグ、アッパーウエストサイドetc. いたるところでフィラのスニーカーをカッコよく履きこなしている人々を見つけることができ、このブランドがスニーカーシーンのメインストリームに返り咲いていることを、アメリカの地でも確認することができたのである。
Runners Pules編集長
南井正弘
INFORMATION
丸紅フットウェア
03-3665-1786