Interviewee: Thomas Sailer(adidas Japan)
Interpreter: Tomoko Kakeda
Organizer: Yugo Harada(adidas Japan)
Photographer: Masataka Nakada(STUH)
Interviewer& Text& Edit: Shin Kawase
About adidas ENERGY
THOMAS SAILER
(General Manager Tokyo and
VP Marketing adidas Japan)
Special Interview
アディダスが新たに動き始めている。“adidas ENERGY”(アディダス エナジー)と銘打たれたこのプロジェクトは、端的な新作モデルのコマーシャルキャンペーンではなく、アディダスブランドの原点、ブランドのアイデンティティを改めてスニーカーヘッズにマインドシェアしていくという。一報を受けた編集部は、キーマンであるアディダス ジャパンのトーマス・サイラー副社長を取材した。(インタビュー取材:2021年8月)
About adidas ENERGY
Special Interview
About THOMAS SAILER
(General Manager Tokyo and
VP Marketing adidas Japan)
–––東京に来られてどれ位になりますか?
ドイツ本社から2014年に東京に赴任してきました。6年後の2020年に東京で行われる国際大会が迫っていた時期でした。アディダスにとって東京は、スポーツの観点とライフスタイルのストリートウェアやスニーカーを展開する上で非常に重要な都市です。2002年のサッカーワールドカップの時に初めて来日して、以降も出張で何度か来ていたので、東京がどういう街か少しは知っていました。個人的にも東京が大好きで興味があり、おそらく自分にフィットすると思っていたんです。なので、国際大会を前にした大事な時期に自ら希望して赴任しました。
General Manager Tokyo and
VP Marketing adidas Japan
THOMAS SAILER
–––アディダスに入社した理由を教えてください
アディダスで働くことが私の夢だったんです。6歳からサッカーを始めて、1970年代、80年代とドイツでサッカーと一緒に育ちました。当時、アディダスが表現していたスポーツで生み出される感情や価値観にすごく共感していました。だから、どうしてもアディダスに入りたくて、アディダスにずっと履歴書を送り続けていたんです、色々とバージョンを変えて。今でもよく冗談で言うのですが、私があまりにも何度も履歴書を送るものだから、人事担当者が根負けして「じゃあもうトーマス、来ていいよ、働けよ」という感じになったのではないかと(笑)。
–––そうだったんですね(笑)。アディダスに入社して最初は何を担当されていたのですか?
サッカーのコミュニケーションマネジャーとして働き始めました。最初のプロジェクトは、ジダン選手やベッカム選手との仕事だったんです。その時は本当に夢のようで、こんなに楽しい仕事するのに給料をもらっていいのかというぐらい(笑)、毎日が楽しかったですね。それから10年間、サッカーを担当していました。
–––それからライフスタイルカテゴリーのアディダス オリジナルスに?
はい。私がオリジナルスに移った頃は、すごく面白い時期でした。2004年に“A BATHING APE”(ア ベイシング エイプ)とのコラボレーションが始まり、2005年にはスーパースター35周年があったりと、この時期に複数のコラボレーションが始まり、Y-3がローンチしたタイミングでもありました。スニーカーカルチャーが盛り上がり、本当に面白くなってきたターニングポイントでしたね
–––そうですね、その当時に色々始まっていますよね
本当にエキサイティングな時期だったと思います。オリジナルスが部署としてまだ小さく、社内でも別会社みたいな雰囲気で。小さな部署だったからこそ自由度も高くて、プロジェクトの規模は問わず、今日ではできないようなプロジェクトも沢山ありました。その時がアディダスで働いて一番楽しかった時期かも知れませんね。
About Sneaker
–––あたらめて、トーマス副社長が考える「スニーカーの魅力」とはどういったところでしょうか?
スニーカーの魅力、ストリートウェアの魅力を考えると、アディダスはスポーツの歴史が根付いていることが大きいと思います。スーパースターの歴史だけを考えても、最初はバスケットボールシューズとして作られたものが、ヒップホップグループのRun-D.M.C.(ラン・ディーエムシー)が履いたことでストリートにもファッションとして拡がり、そこからさまざまなシーン、人に興味を持ってもらったことで、世界中に広まり成長していった。スニーカー、音楽、アート、写真など、異なるさまざまなカルチャーの垣根を越えて、それぞれの形で愛されて支持されてきた。すごく素晴らしいと思いますね。なので、ストリートカルチャーのアイコン的な存在がスニーカーであり、それがスニーカーの魅力だと考えています。
–––アディダス オリジナルスのスニーカーの魅力はそこに尽きると
そうですね。やはり歴史の深さに尽きますね。定番モデルのスタンスミス、スーパースターをみても、スポーツオーセンティック、本物のスポーツブランドのスニーカーだから魅力があるんだと思います。オリジナルスのトレフォイル(三つ葉)ロゴマークが付いたモデルにも「すべてスポーツのヒストリーとテクノロジーがある」、そこが差別化の肝だと思います。例えば、LA トレーナーの踵部分にスティックがあります。これは1984年にロサンゼルスで国際大会が開催された時の最新テクノロジーを使って作られた歴史があります。単なるデザインではなく、当時はイノベーションとしてすごく輝いていたわけですよね。今、様々なスニーカーブランドがある中でも、アディダスには長い歴史があり、ヘリテージモデルが豊富で、その一足一足の背景にオーセンティックなスポーツの歴史がある。そこにアディダスのスニーカーの魅力が詰まっていると思います。
–––アディダスはスポーツとストリートカルチャーとの相性がいいと感じます
ストリートカルチャー、文化とのコネクションは絶対に必要ですよね。その代表例として、スーパースターは、ラン・ディーエムシーがピックアップしたから有名になったと歴史が証明しています。さらに、当時の最新テクノロジーのブーストを搭載したウルトラブースト OGトリプルホワイトをラッパーのカニエ・ウェストが履いてくれたんです。その結果、パフォーマンスランニングシューズが世界中に爆発的に拡がり、一瞬でスニーカーのアイコンのひとつになった。スポーツと音楽の結び付き、それが今もアディダスの魅力になっているんでしょうね。
–––それではインラインとコラボレーションについて、それぞれの考え方を教えてください
インラインモデル(一般的な販路で広く流通するモデル)は、開発のプロセスがすごくデリケートなんですよね。新しいシルエットを開発するときは、常に細心の注意を払ってビルドアップしていかなければいけません。インラインモデルの成功例としては、1980年代のアーカイブモデルからインスピレーションを得てブーストを搭載したモデルのNMDです。2016年12月、東京ではアンディフィーテッド限定でローンチし、即ソールドアウトしましたが、しばらく一般発売はしませんでした。ものすごい反響だったので、売れると分かっているならば、普通は全てマーケットに流してしまえ、となりますが、そうしたら絶対にスニーカーのアイコンにはなり得ない。売上だけでなく、売り方も含めて考えていかなければなりません。NMDにおいては、コラボレーションなしでスニーカーのアイコンを作り上げることができたインラインモデルの成功例だと思います。
–––コラボレーションモデルを作るよりも、インラインモデルを作るほうがはるかに大変で難しいのでしょうか?
その通りです。インラインモデルで成功を収めるのは非常に難しいことです。パートナーシップ契約を結んでいるファレル・ウィリアムスとのコラボレーションを通じて新しいモデルを紹介することで、より多くのスニーカーファンに知ってもらえるきっかけが生まれます。通常のファッションブランドやアーティストとのコラボレーションは、インラインモデルの魅力があるからこそ、さまざまなクリエイターやブランドからオファーを戴けているので、今後も我々は魅力的なインラインモデルを作っていかなければなりません。
–––苦労して作り上げたインラインモデルも定番になるモデルとならないモデルがありますよね
アディダスのようなグローバルブランドになると、全世界に向けてインラインモデルの開発をするわけです。ですが事実として、北米、ヨーロッパ、アジアで好まれるテイストがそれぞれ違っています。全てのインラインモデルがグローバルレベルで成功するのは難しいことです。満を持してローンチをしても、マーケットによっては消費者にあまり受け入れられなかったりもします。
–––定番モデルはメーカー側が作ろうとしても、作れるものではないという?
意図的に定番モデルを作るのは難しいですが、アイコニックな定番モデル、例えばガゼルのようなモデルは、ビッグスケールな人気ではなくても、ものすごくコアなファンが残っていたりするんです。歴代のアイコンモデルには少なからずファンが存在するわけです。大規模に何千足、何万足とは売れないけれど、コアファンがいるモデルに関しては機を見て必ずリリースするようにしています。
About Sneaker Culture
–––東京(日本)のスニーカーマーケットは、今も世界に影響力を持っていると思いますか?
はい、もちろんです。それは日々実感しています。アディダス本社があるヘルツォーゲンアウラッハはドイツの小さな村で、パリ、ニューヨーク、ロンドン、東京のような大都市ではありません。グローバル製品を開発するために、どの都市からインスピレーションを得たいかを考えた結果、東京が選ばれました。それ以来、東京にもプロダクトクリエイションオフィスがあります。東京のオフィスでは日本だけではなく、グローバルのモデルも開発しています。
–––トーマス副社長が感じる東京のスニーカーカルチャーの特徴とは?(他国と比べて)
日本のスニーカーカルチャーは、他国と比べてオーセンティックだと思います。オーセンティックとは、あまりコマーシャル性、商業性がないということです。北米や中国は、リセールマーケット(転売市場)が盛んで「売れそうなスニーカーを取りあえず買って、後で売ってお金にしよう」という傾向が強い。もちろん、東京にもこのような風潮は存在しますが、スニーカーが大好きで自分で履くために買っている、という人が多い気がします。シルエットやブランドそのものが好きだから履いている感じでしょうか。作る側もスニーカーが大好きだから作りたい人が多く、コラボレーションで協業するクリエイターもクラフトマンシップと情熱を持っている人が多い印象です。もちろん、ビジネスも大切だけれども、収益を上げるためだけに作るという人は少ないと感じています。日本においてアディダスが支持されている理由のひとつは、アディダスは靴職人の息子として誕生したアドルフ・ダスラーが作ったシューメーカーであるということ。アドルフ・ダスラーはマテリアルとディテールに強くこだわる職人でした。アディダスのクラフトマンシップと日本の職人文化と共鳴し、共感を得ているのだと思います。
adidas ENERGY
Jeremy Scott Forum Money Low
アディダス エナジーからリリースされる
ジェレミー・スコットとのコラボレーションモデル。
About adidas ENERGY
–––“adidas ENERGY”(アディダス エナジー)について教えてください
現在、アディダス オリジナルスにおいて、メインとしてインラインがあり、スケートボーディング、そしてビヨンセやカニエ・ウェスト、ファレル・ウィリアムスをはじめするクリエイターや他ブランドとのコラボレーションを展開しています。これらのラインとは別に、アディダスとしてのブランドの熱をけん引する、スニーカーコレクションを作るために生まれたのが「アディダス エナジー」です。往年のスニーカーファンと新世代のスニーカーヘッズ、両者に喜んでもらえるアディダスならではのプロダクト。各所のニーズに応えるためには、親和性、関連性のあるパートナーを選ばなければいけないですし、流通もコントロールしなくてはいけない。この目標を実現するために、ドイツ本社に「アディダス エナジー」専門チームが発足し、東京のクリエーションオフィスにも「アディダス エナジー」だけにフォーカスするチームが誕生しました。東京をはじめとするキーシティのカルチャーや空気感、今のトレンド傾向などを、アディダスのヘリテージと組み合わせる。それが「アディダス エナジー」です。
–––adidas ENERGYのコンセプトを教えてください
アディダスの歴史の中にあるヘリテージと、その背景にあるストーリーをスニーカーファンやスニーカーヘッズに伝えていくことがコンセプトですが、コラボレーションするパートナーが何を表現したいかを解釈すると、そこにスパイスが加わるわけです。8月にローンチしたラッパーのバッド・バニーとのコラボレーションで、バスケットボールシューズのフォーラムに音楽というスパイスを加えて新たなストーリーを表現したように、「アディダス エナジー」もモデルごとに各ストーリーを伝えています。
–––adidas ENERGYのヴィジョンを教えてください
「アディダス エナジー」の目的は、アディダスのブランドとしての熱を高めることで、ブランドを盛り上げ、けん引していくことです。東京はたくさんのインスピレーションで溢れています。そして、アディダスとして伝え切れていないストーリーがまだまだあります。6月に日本人アーティストのキネ(KYNE)とスタンスミスがコラボレーションしたのですが、これも東京(日本)のストーリー。世界に通用する日本発信のコラボレーションでした。そして今後は、主要都市のひとつである東京のフィルターを通した、東京に特化するプロダクトをさらに多く作っていきたいと考えています。2022年夏にローンチを予定しているので期待していてください。
トーマス・サイラー(アディダス ジャパン マーケティング担当副社長)
ドイツ出身。6歳からサッカーを始め、プロサッカー選手を目指して練習に明け暮れる青春時代を過ごす。残念ながら、プロサッカー選手の夢は断たれ、ドイツの大学を卒業後に単身で渡米し、ドイツ企業へ就職する。しかし、子供の頃からもうひとつの夢だったアディダスで働くことが諦められず、何度も履歴書を送り、ドイツのアディダス本社に合格。サッカーコミュニケーションマネジャーからスタートし、サッカー担当を10年務める。その後、2003年にライフスタイルカテゴリーのオリジナルスに異動し、スニーカーカルチャーのアイコンとしての礎を築く。2014年、本人たっての希望により、アディダス ジャパンへ赴任し現在に至っている。マイ フェイバリット アディダスは、ロッド・レーバーとウルトラブーストOG、アディゼロ ボストン。
編集後記
アディダスが新たに動き始めると聞いた時、久しぶりに心が躍った。なぜなら、昨今のスニーカーマーケットにおいて、アディダスに今ひとつ元気がないと感じていたからだ。我々編集部は、2012年に拙著『Sneaker Tokyo vol.4 addicted to “adidas”』で東京のスニーカーカルチャーの文脈から見たアディダスの魅力を多角的に掘り下げた書籍をリリースしている。その目的は、アディダスの「現在」を知り、その「未来」を探るための旅に出ること。企画・取材は一年半に渡って行われ、創業の地であり今も本社があるドイツのヘルツォーゲンアウラッハで日本メディア初となる新社屋内の撮影とキーマンへのインタビューを敢行。アクションスポーツなどの拠点がある米国ポートランド、日本・東京デザインオフィスの三都市を巡る旅で、当時のアディダスのすべてを取材した。その時に、創業者であり靴職人だったアドルフ・ダスラー氏から受け継がれたクラフトマンシップの血が脈々と流れ続けていることを肌で感じた。今回の取材でも、トーマス副社長の口から「アディダスは靴職人の息子が後を継いだ靴の会社である」と語られたのが印象的だった。世界のリセールマーケット(転売市場)が加熱する中、地に足のついたクラフトマンシップを感じられるアディダスらしいプロダクトに期待したい。今のスニーカーマーケットにアディダスに変わる歴史を持ったブランドはないのだから。
SHOES MASTER編集部
『Sneaker Tokyo vol.4 addicted to “adidas”』
編・著:SHOES MASTER編集部
バイリンガル編集(日本語/英語)
(2012年4月発売)※現在は販売していません
INFORMATION
アディダスお客様窓口
0570-033-033
http://shop.adidas.jp/originals