Photo : Masataka Nakada (STUH)
Edit & Text : Shin Kawase
RFW 20th ANNIVERSARY
Special Edition
Takashi Kanokogi(RFW) Special Interview
~日本から世界に発信するブランド、RFWの20年間の軌跡と未来~
インディペンデントシューズブランド “RFW”(アールエフダブリュー)は、9月に設立20年の節目を迎えた。起業から10年間存続している会社が5パーセントに満たない時代に、シューズデザイナーとして20年間走り続けている鹿子木隆氏。そのひたむきな姿に編集部は感銘を受けた。なぜ彼は走り続けることが出来たのか?2018年の現在に至る、鹿子木隆という人物を取材した。
ロンドン留学って考えてた以上にお金が掛かって、
大変な生活だったけど日々楽しかった
–––まず、初めて自分のお小遣いで買ったスニーカーを教えてください
中学3年生の時に買ったケースイスのクラシックです。真っ白いレザーのアッパーにブルーのインソールがとてもクリーンに見えて、大人のスニーカーの雰囲気がありました。あと印象に残ってるのが高校3年生の時に買ったナイキのジョーダン5。1990年ですね。吉祥寺の西武スポーツで予約して。バスケとかあまり興味なかったけど、ヒップホップとスパイク・リーの影響で買ったのを覚えてます。
–––高校時代は、吉祥寺によく行っていたんですか?
東京で生まれて、幼稚園から小5まで千葉県船橋市、小5から高2まで埼玉県入間市、そこから所沢へと転々としてて。通っていた都内の高校から近い遊び場が吉祥寺でよく行ってました。洋服にはとても興味があったので、高校卒業後は文化服装学院に行きたかったんですけど、高校が進学校だったこともあり、私立大学の文学部に進学しました。
–––大学時代に履いていたスニーカーは?
大学時代はほとんど学校には行かず(苦笑)、時給が高い夜間のバイトをしながら、アナログレコードばかり買ってました。ヒップホップ、ソウル、ジャズ、ファンク、ロックも邦楽も良いと思ったら選り好みなく、多分3,000枚ぐらいは買ったんじゃないかな。スニーカーもミュージックビデオの影響を受けて、スニーカーからブーツまでナイキのコルテッツ、アディダスのフォーラム、プーマのスウェード、フィラからティンバーランド、ドクターマーチンまで幅広く色々と履いてました。あとは音楽とファッションの影響でニューヨークに強い憧れがあって、高校の同級生がボストンに住んでいたので、ニューヨークとボストンに毎年遊びに行ってました。ニューヨークではレコードと洋服、靴をどっさり買って帰ってきました。1990年代の初頭は、まだ日本に売ってないようなものがたくさんあって、しかも安かった。向こうで流行っているものをイチ早く買うことが当時は楽しかったんです。
–––ニューヨークでそれだけ買っていたら、日本で買い物しなくていいですね
いえいえ、アメ横とかもよく行ってましたよ。サープラス物は中田商店、スニーカーショップだと山男、アウターリミッツっていうお店とかも。でも一番通っていたのはやっぱり吉祥寺でテクテックという※関村求道さんがいたお店。初めてのナイキのACGはここで買いました。他では売ってないようなマニアックな面白いものがあって、吉祥寺に行くたびにチェックしてました。僕にとってテクテックが大学時代に一番印象に残っているお店ですね。
※関村求道氏は、ヘンプアパレルブランド、トーキョーヘンプコネクション”THC ”のデザイナーとしても活躍。世界初のPUMAショップ別注を皮切りに、日本別注ムーブメントの先駆け的存在。キーンの外部デザイナーチームメンバーの一人。
–––大学卒業後は直ぐに靴業界ですか?
いえ、大学時代に毎年ニューヨークに旅行していて、卒業したらニューヨークに行きたいとずっと思っていたので、まともに就職活動もしてなかったです。ところが、大学4年の春にいとこが住んでいるロンドンに行ったら、すごくいい雰囲気っていうか、ウェルカムな感じで。人もいいし、なんかのんびりしてるし。ファッションも東京ほど早かったり、尖がったりはないけど、なんか格好いい人たちが沢山いて、音楽もすごく良かった。アシッドジャズだったり、レア・グルーヴだったり、古い音をリスペクトしているような文化を感じたんです。1回行っただけですけど、もうロンドンに住みたいっていう気持ちがすごく強くなってしまって…もうどうしようもなくなってしまったんです。
–––それで実際にロンドンに行くことにしたのですか?
ロンドンに住むことしか考えられなくなったけど、やっぱり親の手前もあるので、勉強を目的にした留学が一番現実的だと思って…必死で学校を探しました(当時はインターネットがない時代)。やっと探し当てたのがロンドンの靴の学校、コードウェイナーズ・カレッジだったんです。でもやっぱり、大学に4年間行かせてもらって、今更また学校行きたいから学費を出してとは言えないので、銀行から学費分のお金を借りて、親に保証人になってもらいました。靴のデザイナーになるためにロンドンに行ったわけではなくて、ロンドンに行く手段としての靴の学校だった。順番が逆ですよね、普通は(笑)。
–––コードウェイナーズ・カレッジという学校は、何年制だったのですか?
2年です。2年で卒業。でも、僕は1年間で辞めてしまったんですが。
–––辞めたとは、中退したということですか?
1年間丸々行って、2年目ってなった時に基本的な靴の勉強は1年で全部終わって、2年目は今までやったことの応用編みたいな内容だったので。それならお金の問題もあるから辞めることにしました。留学って考えてた以上にお金が掛かって、銀行から借りたお金を1年間でほとんど使ってしまったんです。学費だけで何百万だし、あと生活費もあるから。しかも、その当時はポンドが高かったんですよ、230円くらいで。本当に生活が苦しくて大変だったし、ちゃんと食べた記憶もないぐらい(苦笑)。でも、ロンドンにいること自体が楽しくて、真面目に学校に行きながら、お金もないのにクラブやパブに遊びにも行ってましたね。若いし、周りもみんな貧乏だったし、大変な生活だったけど楽しかったですね。
–––ロンドンのコードウェイナーズ・カレッジは、色々な国の人が学んでいるのですか?
いましたね。基本はEU諸国の人たちが半分ぐらいで、中国、日本、韓国のアジア圏、あとインドとかアフリカ系の人も。そういう意味では、今まで会ったこともないような世界の人と同じクラスになれたことがすごく楽しかった。
–––毎年ニューヨークに行っていたから英語は問題なかったでしょう?
いえいえ、全然喋れないし、聞き取れなかったです。英語の勉強を全くしないまま入学してしまったので、靴という専門的な勉強をしなければいけないのに教科書とかも全然分かんないし(苦笑)、辞書を片手に英語の勉強もしながらだったんで本当必死でした。
独立して2年間位は本当に辛かったですね…
本当にテンパって、頭もおかしくなっちゃったぐらい
–––1年で学校を辞めて日本に帰ってきたんですね
いや実は学校は1年で辞めたけど、その後も1年間、バイトしながらロンドンに滞在してたんです。その時期には、ポストミシンといわれる特殊な靴を作るミシンを持ってて、アッパーのサンプルを作ったりしてました。そのサンプルをジョージ・コックスの工場に持って行く機会があって、ちゃんとした形で作ってもらったんですよ。
–––それは自分のブランドを立ち上げようと思って?
自分のブランドを立ち上げるとかじゃなくて、ちゃんとした靴を作りたいっていう気持ちがあったんですよね。でも、ジョージ・コックスで作ったサンプルを見て、日本の販売代理店、ジャック・オブ・オール・トレーズという会社から「サンプルの出来栄えがいいから日本で売らないか?」って声をかけてもらいました。それで本当に運良く、僕が作った靴を日本で売り出すことができたんです。メイド・イン・イングランドで、ジョージ・コックスの工場で作って。その時はまだブランド名も何も決まってない状態でした。1998年3月の展示会では“RHYTHM”(リズム)というブランド名で、ジャックとの代理店契約でデビューすることになりました。25歳の時でした。販売をスタートさせたのが1998年の9月なので、ちょうど20年前になります。
–––その体制で20年間やっているのですか?
いえ、5年間はジャックと契約させてもらったんですけど、2003年、30歳の時に「自分でやっていきます」と言って、千駄ヶ谷に事務所を借りて一人で独立しました。資金繰りも大変だし、イギリス製だけていうのにも限界を感じていて、作る靴の幅を広げたかったので、徐々に日本製、中国製にシフトしていった時期です。
–––やっぱり完全に独立すると資金繰りの問題が大変ですか?
そうなんです。資金繰りと共に、やっぱり一人じゃ全部できなくて人に頼まなきゃいけない。経理もそうだし、営業も、プレスも。そしたら自分のブランドだけじゃ、ご飯食べられなくなった(苦笑)。セレクトショップ・シップスの契約デザイナーを運良くやらせてもらっていたので、色んなファッションブランドやショップと靴のデザイナー契約やOEMをさせてもらって、何とか生計を立てたんですよ。自分のブランドも頑張りたいし、契約しているデザインは自分のブランド以上に頑張らなくてはいけないから、本当にテンパって、頭もおかしくなっちゃったぐらいです。独立して2年間位は本当に辛かったですね…。これじゃまずいと思って2006年に会社を株式会社にして、人を入れてなんとか分業できるようになりました。
–––自分のブランドをやっていて、やりがいを感じる時はどんな時ですか?
やっぱり全然知らない人が、自分の作った靴を履いているのを街で見かけた時ですね。最初は不思議な感じでしたけど、20年前も今もその気持ちは変わらなく嬉しいです。底がすり減って、ボロボロになってる状態のものを見ると、もうたまらなくなって直営店に連れて行って、新しいものと交換してあげたくなります。
–––デザインはどこで考えることが多いですか?
基本的には、常に考えています。電車の中、車の中もそうだし、思い付いたものを携帯にメモしたり、あとはポストイットにキーワードやアッパーのラインだけを書いて、忘れないようにそれをモニターのまわりに貼って重ねていく。あとはデビュー当時からそうですけど、常にノートを持って、なんかちょっと思い付いたことを書いています。起きてから寝るまで、基本的にはフル回転していますが、でも全く考えられない時もあるんです。やんなきゃいけないっていう時に追い込まれてやれる場合もあれば、2週間以内にデザインしなきゃいけないのに1週間何もアイデアが出なかったりとか。出るときはポンポンって出るんですけど(笑)。インプットしているものがないと良いアウトプットは出来ないので、基本的には常にインプットすることを心掛けています。
いいデザインって、やっぱり苦しんで苦しんで、
ずーっと常に考えた末にしか降りてこないもの
–––いいデザインが浮かぶ瞬間とはどんな時ですか?
今だと簡単に靴の情報とか、SNSでも得られるじゃないですか。そういうのもすごく沢山見ます。見てるんだけど、その時にはあんまり浮かばないんですよね。後々、多分その時に入ってきていたものが、ちょっとこういうライン、面白かったなっていうのがあったりとか、でも、うちの靴とは違うなとか、なんか色々考えてるんですよね。でも、それが具体的なことじゃなくて点なんです。いいデザインが浮かぶ瞬間ってその点と点が結ばれるというか、ずーっと貯めているものが、スーッと降りてくる感じなんですよね。やっぱり苦しんで苦しんで、自分がやりたいことをずーっと常に考えた末にしか降りてこないものですね。
–––デザイナーとオーナーを両立する上で一番大変なことは?
難しいですよね、経理とか数字とかだけを管理しているオーナーと僕は違うから。僕は自分自身がデザイナーとして常に新しいものを生み出していかなきゃいけないんだけど、でも、やっぱりある程度会社を守るというか、意識しなきゃいけないことに社員の生活がある。そこは最低限の利益を生まなきゃいけない。と同時に、やっぱり面白いことやらないといけないし。そのバランスが一番大変で難しいですね。
–––ブランドを継続する上で一番大切なことは?
安定を求めないことですね。自分の靴を売ってくれる売り場はずっとあるわけではないから、そこには緊張感を持たなきゃいけない。常に新しいものを販売店に提案していかなければならないし、販売店を探さなければいけないと思っています。大きいお店だけではなく、地方の小さいお店も含めて色々と。まだまだRFWっていうブランドは知られてないですから。自分たちは面白いものを作りながら、置いてもらうところも探しながら、さらには、知ってもらうための努力もすべて並行してやっていくっていう感じですね。今は時間がある限り、自分たちでポップアップを増やすようにしています。やはり顧客と直接対話できるような機会を増やしていかないと、なかなかリピーターにはなってくれないので。
–––1年位前から代々木八幡でショールーム兼ショップ(直営店)を展開していますよね
特に大きな看板を出しているわけではないけど、いつでもフルラインナップが見られて、フルサイズで対応できるような場所を作りたかったので。あと、お客様と直接ゆっくり話がしたいので土曜日店長をやっています。原宿だと、人が多過ぎてゆっくり見られる状況でもないじゃないですか。あまりごちゃごちゃ人がいない所で、ゆっくり靴を選べる環境にしたいんです、まだまだそこまで至ってないですけど。
RPM-RHYTHM PRIMARY MARKET(RFW直営店)
–––個人的にいいと思うお店はありますか?
僕、個人的にはビリーズ原宿店の入口が広くて、ゆったりとしたスペースと雰囲気はいいと思います。RFWは置いてないですけど(笑)。
–––海外展開について現在の状況は?
今、アメリカが2店舗。イギリス、フランス、タイ、台湾。その中でも、うちのバルカナイズのスニーカーが台湾製っていうのもあって、今は台湾での展開を強く推し進めているところです。
–––今後の展開の予定は?
今後はもっと海外にも広めていきたいです。実は、直営店(代々木八幡)に来るお客様の半分近くが海外の方です。それも本当に幅広くて、北欧の人もいれば、ロシアだったり、インドネシアだったりとか、本当に色んな国から来てくれるんです。渋谷、原宿でもないのに地図をチェックしてわざわざ。タクシーで乗り付けて来られる方もいたり。
–––デザインといえば、RFWの他にシューズデザイナーとしての活動もしていますよね
そうですね、今までだとシップスのオリジナルブランドやティンバーランド、クロームというバッグブランドのシューズラインのデザインもちょっとやらせてもらいました。継続的にやっているのは2011年からキーンのサンダルやブーツのデザインをやらせてもらっています。最近だとユニークのカラーリングとか。あと、アドミラルは以前1年間ぐらいデザイナー契約してたんですけど、2019年からディレクターという立場で入る予定になっています。
–––最後、読者に一言お願いします
メインとなるとやっぱり、ナイキ、アディダス、コンバース、ニューバランスなどかも知れませんが、一度RFWも試してもらえたら本当に嬉しいですね…。是非、実際に見て触って欲しいという気持ちがあります、ぜひこの機会にいらしてください。土曜日に直営店(代々木八幡)に来て頂けると僕もいるので(笑)。
RFW 2018 FALL / WINTER
Recommend Selection
SANDWICH LO HERITAGE
Navy, Beige, Natural, Black
¥11,000+tax
アッパーのパターンが分かれて構成され、足全体を包み込むようにホールドしてくれるRFWを代表するモデルのサンドイッチ。アッパー両サイドの羽根が2枚のパーツに分かれているため履き口も開きやすく、着脱もスムーズ。2018年秋冬は、クラシカルな表情が特徴のヘリテージシリーズとして登場。
KOPPE LO LEATHER
White, Beige, Black
¥25,000+tax
2018年秋冬コレクションで登場したニューモデル、コッペ。国内の工場で製作した日本製スニーカーで、アッパーにも非常に柔らかいアルゼンチンの牛革を使用し、ソールはビブラムソールを採用している。一見シンプルなデザインに見えるがパターンの曲線が重なリ合ってオリジナリティある仕上がりになっている。
NAAN FOLIO CANVAS
Grey, Brown, Black
¥12,500+tax
こちらもニューフェイスのフォリオ。アッパーがベロアとキャンバスの同色異素材が重なり合って構成された、シンプルながら個性的なRFWらしい一足。ソールには、クッション性に富んだカップインソールを使用し、履き口周りにはパディングを付け、足首のフィット感を向上させている。
BAGEL LO SUEDE
Beige, Grey, Black
¥18,500+tax
サンドイッチに継ぐ定番人気モデル、ベーグルの2018年秋冬新作モデル。アッパーにスエード素材を使用し、アッパーからソールにかけての色の濃淡が個性的で、ライニング(履き口)には肌触りのソフトなマイクロファイバーを使用し足当りも優しい。
INFORMATION
RPM-RHYTHM PRIMARY MARKET(RFW直営店)
東京都渋谷区富ヶ谷1-6-9 荒木ビル2F
03-6804-7283
12:00-19:00 (月~土)
RFW
03-6804-7283
www.rfwtokyo.com