Photo : Soma Doi (STUH)
Edit & Text : Shin Kawase

"The most important thing for shoe creators"
by SHOES MASTER
Hirofumi Kojima (atmos)
at Hiko Mizuno

~アトモスの小島奉文氏が語った、
「シューズクリエイターにとって一番大切なこと」~

シューズ・マスターは、創刊当初から専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ「シューズコース」を20年間取材してきた。その中でシューズコースの学生に役立つことをしたいと考え、創刊15周年を機に「シューズクリエイターにとって一番大切なこととは何なのか?」を語り合うセミナーを編集部主催で不定期に開催している。

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本セミナーは、シューズ業界の第一線で活躍する人物をゲストに迎え、学生との質疑応答を交えながら、シューズ業界の未来についてディスカッションし、ゲストと学生が直接交流することが最大の目的。7月に開催した際のスペシャルゲストは、世界的に有名なスニーカーセレクトショップ、アトモスの小島奉文氏。そのセミナーの模様をお届けする。

アトモスの小島奉文氏が語る
「シューズクリエイターにとって一番大切なこと」
by SHOES MASTER

スペシャルゲスト:
小島奉文 / Foot Locker atmos Japan合同会社
クリエイティブディレクター&メンズ シニアディレクター

埼玉県出身。文化服装学院を卒業後、2001年より、atmosの前身である「Chapter」でキャリアをスタート。その後、atmosにて様々なポジションを歴任し、数多の別注企画を手掛ける。2013年より現職に。メンズ部門を中心に幅広い活動を続けている。

ナビゲーター:
河瀬 真 / 有限会社オフィスカワセ
SHOES MASTER発行人&プロデューサー

熊本県出身。大学中退後、テレビ番組制作会社、広告代理店、出版社(すべて同じグループ会社10年勤務)を経て独立。2002年に有限会社オフィスカワセ設立。2004年3月「SHOES MASTER」創刊。2009年、書籍シリーズ「Sneaker Tokyo」発行。2014年からランニングギア専門誌「Runners Pulse」プロデューサーも務める。

来年で25周年を迎えるアトモスは、ニューヨークを拠点に展開する全米最大級のスポーツ用品店、フットロッカーグループのスニーカーセレクトショップ。アトモスは現在、旗艦店の表参道店、スニーカー文化を学べるコミュニティスペースの千駄ヶ谷店のほか、東京都内6店舗(ほか系列店7店舗)、北海道、神奈川、千葉、石川、愛知、京都、大阪、広島、福岡、沖縄に店舗を展開し、海外ではタイ、インドネシア、マレーシア、フィリピンに出店。東京から発信するスニーカーカルチャーは、世界中のスニーカーフリークから注目を集め続け、コラボレーションしたブラント数とモデル数はアトモスが世界一を誇っている。

atmos Sendagaya (Limited Store)
Sendagaya 3-16-9, Shibuya-ku, Tokyo, Japan

atmos BLUE Omotesando
Barbizon78 4-29-4, Jingumae, Shibuya-ku, Tokyo

atmos Shinsaibashi
2-7-6 Shinsaibashisuji, Chuo-ku, Osaka-shi, Osaka

atmos Mid Valley(Malaysia)
LOT G-065&066, Ground Floor, Mid Valley Megamall Kuala Lumpur 59200 Malaysia

atmos Philippine
Lower Ground Floor, 3rd Avenue, One Bonifacio High Street Mall,
BGC, Taguig City, Metro Manila, Philippine

Data provided by Foot Locker atmos Japan

SHOES MASTER Magazine Vol.40 (2023/9/30)
「東南アジアのスニーカー熱/後編」
Photo : Masataka Nakada(STUH)

フィリピン・マニラのBGCで開催されたアトモスのポップアップイベントは、現地のスニーカーマニアでごった返し、小島氏の前にはサインを求める人の行列ができていた。

 

“The most important thing for shoe creators”
by SHOES MASTER
Hirofumi Kojima (atmos)
at Hiko Mizuno

From birth to admission to atmos
~生い立ちからアトモスに入社するまで~

7月に開催された特別セミナーは、東京・渋谷にあるヒコ・みづの校舎内の多目的スペースで行われた。ヒコ・みづのシューズ&バッグコースの学生の中から、自分のブランドを立ち上げたい人、スニーカーやスポーツシューズに興味があり、スポーツメーカー入社を希望する学生約30名が集結。

学生とのディスカッションの前に、小島氏の生い立ちからアトモスに入社するまでの経緯が語られた。埼玉県・久喜市の実家から、毎日電車に乗って代々木の文化服装学院・スタイリスト科に通っていた頃の話。とにかくファッションが好きで、休憩中や休日には足繫く原宿に通い、チャプター(アトモスが誕生する前からあるアトモスのグループ店)の常連だった話。ナイキのエア マックスに衝撃を受けて人生が変わったこと。家が裕福ではなかったので、文化服装学院卒業後、スタイリストのアシスタントでは金銭的に厳しく、働くしかなかったこと。働く場所としてチャプターの面接を受け、店長と誕生日が一緒だったことで、その場で即合格したこと。次の日がステューシーの面接だったため、たった1日の差で将来が決まったこと。チャプターで働いている頃、お金がなくてずっと友達の家に居候して流し台の前で寝ていた話など、赤裸々に当時のことを語ってくれた。今現在、「アトモスで働けているのは運命に導かれた天職だと思っている」と語った。

Work at atmos
~アトモスに入社してからの仕事~

今や世界のスニーカーファンにはその名を知られ、華やかなスポットライトを浴びている小島氏だが、2001年の入社当時は、人見知りで接客に大変苦労したそうだ。しかし、社長やスタッフに認められるには売上を上げることが最大のアピールだと信じて、一心不乱に努力し、トップのセールスを記録するようになっていった。ショップスタッフは激務で辞めていくスタッフも多く、店舗に立って接客をして10年経ったころ、20名以上いた先輩は誰もいなくなり、スタッフの先頭に立っていた。とにかくナイキが好きで、当時のアトモスの社長から「ナイキバカの小島」と呼ばれ、ナイキとのコラボレーションはすべて任せてくれるようになったそうだ。

Nike Air Max 1 atmos Elephant(2007)
Photo by Snaeakeresource

2016年、過去のモデル100 足の中からお気に入りの一足に投票する『AIR MAX DAY 2016 “VOTE BACK”』キャンペーンでは、2007年リリースの小島氏がデザインを手掛けた「エア マックス 1 アトモス エレファント」が、圧倒的な投票数を獲得し、世界第1位に選ばれた。当時、小島氏は「この反響は想像以上に凄く、世界中へ“atmos”ネームをアピールできた。これがきっかけで僕個人としても、様々なオファーが増え、ナイキ チャイナのエア マックス デイのイベントにスペシャルゲストで招待されるなど、仕事の幅が広がり、ものすごく飛躍しました。まさにエア マックスドリーム。」と語っている。

SHOES MASTER Magazine Vol.29 (2018/3/30)

ナイキのエア マックスといえば、エア マックス 1 アトモス エレファントだけでなく、小島氏は数多くの名作を生み出しており、本誌の表紙を飾ったモデルもある。2018年に本誌とウェブスペシャルで特集したエア マックス90 アトモス“WE LOVE NIKE”(2018年)のウェブスペシャルの記事を紹介。

参考記事:
SHOES MASTER Web SPECIAL

The future of atmos and the atmos limited model
Hirofumi Kojima(atmos) Interview
http://www.shoesmaster.jp/special/nike-air-max-19095-atmos-we-love-nike

 

About the work I’m doing now
~現在、手掛けている仕事について~

現在、小島氏が手掛けているコラボレーションモデルの新作について、各ブラントのコンセプトが説明された。残念ながら、ここでその新作を紹介することはできないが、コラボレーションモデルが完成するまで、どのように企画を立て、アイデアを出し、実際に形にしていくのか。多くのヒントやインスピレーションは会社の机の上でなく、日々の生活の中にあるそうだ。小島氏は、プライベートで街を歩いていても行列を見つけると、なぜ人気があるのか、人気の理由を徹底的に調べる。それはスニーカーやファッションだけでなく、飲食店や業種に関係なく、習慣として身についているそうだ。

To Mr.Kojima(atmos)
Questions from students

~ヒコ・みづの学生からOBの小島氏への質問~

小島氏が現在手掛けている仕事の説明が終わると小島氏との質疑応答が行われた。学生への回答は割愛するが、決して上から目線の見解ではなく、自分も同じ専門学校出身である同等の立場に立って丁寧に返答していた。その中でも失敗を恐れずに、どんどん行動してほしいと、学生を励ましていた場面が多かったのが印象に残った。

特別セミナー「シューズクリエイターにとって一番大切なこと」
学生から小島氏への質問:
靴のデザインやコラボの企画などのプロジェクトの完了まで、どのくらいの時間がかかりますか?(1年生)
うまくいかない時期はありましたか。またうまくいかない時はうまいか行くようにどうしていましたか(1年生)
仕事で昔から続けている習慣はありますか(1年生)
年収いくらぐらい稼げますか? (2年生)
やりがいを感じる時はいつですか?(2年生)
学生のうちに身につけておくべきスキルはありますか?(2年生)
今までで一番印象的に残っている仕事はなんですか?(2年生)
身の回りで活躍している方に共通していることはなんですか?(2年生)
失敗したときの気持ちの切り替え方について(3年生)
コラボ商品を色付けするときにマスとコアどちらに向けてデザインしますか?(3年生)
インドネシアやフィリピン、マレーシアなど店舗がありますが、需要と供給の差はありますか?(3年生)
デザインに取り掛かるプロセス、大切にしている姿勢(3年生)
ブランドのアイデンティティを残しながら、どのように新しいアイデアやトレンドを取り入れているか?(4年生)
デザインをする上でのインスピレーションはどこからきてますか?(4年生)
前身のCHAPTERから今に至るまで仕事中に楽しいと感じる事はどんな内容でしょうか(4年生)
店舗採用はどの様な基準で行われているのでしょうか(4年生)
別注デザインでは企業間でどの様な話し合いが 行われているのでしょうか(4年生)
etc.

Data provided by Foot Locker atmos Japan

小島氏が普段から心がけ、日々自問自答している大切なこと。

編集後記
今回のゲスト小島奉文氏は、来年で25周年を迎えるアトモスを創生記からずっと支えてきた生え抜きのスタッフ。弊誌は創刊時(2004年)からの付き合いだが、当時は、ここまでグローバルに展開し、コラボレーションモデルを多数手掛けるようになる未来は想像できなかった。アトモスは、東京のスニーカーカルチャーを牽引してきた日本を代表するスニーカーショップであり、小島氏はそのキーマンである。彼は、世界中のスニーカーファンから羨望を集める今でも、昔から何ひとつ変わっていない。常に腰が低く、勤勉で超が付くほどの努力家だ(本人は努力と思ってないそうだが)。驕った小島氏を見たことがないし、今でも常にスニーカーのことを考え続ける「スニーカー少年」のままなのである。今回のセミナーを依頼したときも「こんな僕で良ければ」と二つ返事だった。小島氏は「僕はちょっとだけ特殊かも知れないけど、こんな僕だって一生懸命頑張って何とかなっている。だから誰にでもチャンスはある。一番ダメなのは失敗を恐れて一歩を踏み出さないこと。」と語った。真剣に聞き入っていた学生の勇気ある一歩に期待したい。
SHOES MASTER編集部

協力:
Foot Locker atmos Japan合同会社
ヒコ・みづのジュエリーカレッジ

About Hiko Mizuno College of Jewelry
渋谷にある創立58年の専門学校。「シューズコース」は2004年に設立。革靴・スニーカー・パンプス・ブーツなど、あらゆる分野の靴のデザインと制作を学び、海外のさまざまな有名靴ブランドや教育機関の協力のもと、国際的に活躍できるシューメーカーを育成している。
http://hikohiko.jp/shoes

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