Photo : Masataka Nakada(STUH)
Edit & Text : Shin Kawase
HIKO MIZUNO COLLEGE of JEWELRY
“SHOE MAKER COURSE”
15th ANNIVERSARY SPECIAL
Hiko Mizuno OB’s now and the future
#3 ASICS
~ヒコ・みづのOBの今と未来を
取材するドキュメンタリーレポート 第3弾~
『SHOES MASTER』創刊当初から取材している専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ「シューメーカーコース」は、卒業生の多くがシューズ業界で活躍し、関係者から注目を集める専門学校の代表格。実際にOB達は現場でどのような仕事をしているのか?次世代を担うシューズクリエイターを紹介する本企画の第3弾は、世界のトップブランド、アシックス。そこで奮闘するOBを取材するため神戸のアシックス本社を訪ねた。
Interviewed brand,
“ANIMA SANA IN CORPORE SANO”
ASICS
ASICS
Performance Running Development Team
Development Department
Performance Running Footwear Division
Tomoki Ishizashi
Hiko Mizuno OB’s now and the future
ASICS Performance Running Development Team
Interview
Tomoki Ishizashi(ASICS)
昨年2月の発売後、爆発的なセールスを記録して話題を集めたアシックスのランニングシューズ“METARIDE™”(メタライド)。ランナーが少ない力でより長く、より楽しく走ることを可能にした、この革新的なプロダクトの開発を担当しているのがヒコ・みづのOBの石指智規氏である。開発とは具体的にどのようなことをしているのか? アシックス本社で本人に話を聞いた。
石指智規
株式会社アシックス
パフォーマンスランニングフットウエア統括部
開発部 パフォーマンスランニング開発チーム
学生時代から入社するまで
–––ご出身は関西だそうですね?
はい。京都で生まれて高校生までずっと京都です。日体大で陸上をやっていた父親の影響で小さい頃からスポーツに触れる機会は多かったですね。小学3年生頃から遊びでバスケットを始めて小学5年生の時にクラブに入って本格的に取り組んで高校まで続けました。3年生の最後の京都府大会では、中学校のチームメイトがキャプテンだった立命館にボコボコにされて(苦笑)、惨敗して高校バスケ生活が終わりましたけど。入社してからは会社のバスケット部に入り、一昨年までやっていました。
–––高校卒業後、ヒコ・みづのに入学されたと聞きましたが、何がキッカケで?
高校1年か2年ぐらいに雑誌で「ヒコ・みづの」の存在を知ったんです。
–––もしかして、その雑誌って…
『SHOES MASTER』だったと思います、確か(笑)。一面に記事が載ってた記憶があるんですよ。こんな靴を作ることを学べる学校があるんだって思って、行きたいなと思ったんです。
–––高校生の時にはもう靴を作りたいと思っていたんですね
いえ、実は中学2年からバスケットボールシューズのデザイン画を書き始めたんです、バスケットボールシューズが作りたくて。そのデザイン画を見た両親がアシックスに送ってみたらどうだって言って…。それでアシックスに送ったら返事がきて、何度かやり取りをさせてもらいました。
写真キャプション:
石指氏がアシックスに送ったデザイン画と手紙のコピー。そのデザイン画は数百パターンにもおよび、すべてナンバリングされ保存されていた。本邦初公開となったデザイン画と手紙のことはアシックススタッフですら誰も知らず、部内が一瞬どよめいた。この手紙に対してのアシックスから返信も残されていた。いち中学生からの手紙に対して真摯に対応したアシックス社員とアシックスの懐の深さに、取材に同席していたアシックススタッフも感動していた。
–––すごい中学生でしたね…
高校に進学するときに、美術系の高校に行くべきか、普通の高校に行って好きなバスケットボールを続けるか悩んでいました。本当はバスケを続けたかったんですけど、美術系の高校に行っちゃうとバスケはできない。どうしようとかと悩んでいた時に、父親がアシックスに手紙で相談してくれたんです。「息子が将来、アシックスのデザイナーを目指しているのですが、美術系の高校に行ったほうがいいですか?」みたいな感じで。そしたらアシックス側から「高校から美術の学校にこだわることなく、いろんなことを経験してください」って返答があったので、僕は美術系は行かずに、普通高校に進学してバスケ部に入りました。
–––高校卒業後にヒコみづのへ?
はい。でも、ヒコ・みづのに入学する前に、父親がアシックスに電話してるんですよ。「息子がヒコ・みづのに行きたいって言っているけど行かせても大丈夫か?」みたいな。それもアシックスの人事部に。当時、ヒコ・みづののシューメーカーコースに3年制ができたタイミングだったんです。そしたらアシックス側から「ヒコ・みづのさんならいいと思います。行くんだったら3年制のコースに行って靴づくりの勉強をして下さい。」っていう答えが返ってきて、3年制のコースに行くことにしました。その当時、アシックス社内では僕の父親は有名だったと思います(苦笑)。
–––それでようやく本格的に靴づくりを学んだんですね
ヒコ・みづのに入ってから「俺は絶対にアシックス入るんだ」ってずっと言って勉強してました。だから先生からも、これでアシックス落ちたら、石指は大丈夫かって、めっちゃ心配されてました(笑)。だから、当時の先生には本当にお世話になりましたね。
–––卒業前に就職活動もしたのですか?
もちろんです。入社試験を受ける前に、書類選考があって、まずそこをクリアしなければならないんです。書類選考に受かって、それからやっと課題提出があるんですけど、そこでほとんどが振り落とされるんです。書類選考に受かると、その課題にひたすら命を懸けてました。毎日、ヒコ・みづのの先生の所に行って、ああじゃない、こうじゃないって。当時は、大手外資系スポーツメーカーOBの先生と、元ホンダのデザイナーの先生を中心に本当に色々と教えてもらいました。資料の作り方から、プレゼンテーションのやり方まで。お陰でその課題提出とプレゼン面接も無事クリアしました。そして最後に役員面接を経て、ようやく合格までこぎ着けたんです。
–––それで晴れて合格になるわけですよね
はい。決まった瞬間は、よっしゃって感じで本当に嬉しかったですね。先生とも両親ともガッチリ握手しました。
ASICS SPORTS MUSEUM
アシックスの神戸本社に併設されている「アシックススポーツミュージアム」。日本のスポーツの歴史と共に歩んできたアシックスが手掛けた数多の名品が展示してある。
入社後の仕事の内容
–––入社後、どの部署に配属になったんですか?
最初は、コート開発チームでした。いわゆるコートを使った競技のシューズを作るチームで最初はテニスシューズを担当しました。その後いろいろな競技のシューズの開発を担当していたのですが、バスケ経験者だったこともあって、バスケットボールシューズの部分的なデザインをちょいちょいやらせてもらっていました。それから3年目に「もうバスケメインの開発担当で」って言われてバスケットボールシューズの担当になりました。それからバスケットボールメインの開発担当として丸4年ぐらいやらせてもらいました。
–––4年間で最も思い出に残っているシューズは何ですか?
入社6年目に開発を担当したゲルバースト20thですね。アニバーサリーイヤーでバーストファンも多くいるので昔の形を継承するのが普通でしょうけど、機能を進化させ、思い切ってデザインもリニューアルしたんです。往年のファンの方々から批判を浴びるかと思ったんですけど、良い進化として受け入れてもらうことができました。それはずっとバスケットボールをやってきた経験が役に立ったと思うので、このバーストが個人的に一番思い出に残っています。今でもバスケットをする時は一番よく履いている一足ですね。
2016年からランニングシューズ担当へ
–––バスケ担当からランニングシューズの担当になるんですね
はい。2016年の1月1日からランニングシューズの開発チームへ異動になりました。初めて担当したのは、ゲルカヤノ24でした。それからGT-2000 ニューヨーク 6、メタライド、グライドライドを手掛けました。
–––開発担当の仕事を分かりやすく教えてください
平面(コンセプトやデザイン画)から立体物にしていくのが開発担当の仕事になります。デザイナーのイメージやデザイン画を、実際にどうシューズとして作っていくかを考えて形にしていく。その中心にいるのが開発担当の役割で、建設現場に例えると現場監督みたいな存在っていうんですかね。色々な部署と関わっていきます。
–––実際に関わる部署としては?
まず企画チーム(COE)。企画の役割は、前作のいい点、悪い点や市場動向等の情報を集めて、それを次のモデルにどう活かそうかっていうのを考えて、新しいモデルを企画するチーム。開発の立場で一緒に考えます。メタライドは好評だけど、高価格帯モデルになるので、もうちょっと価格をおさえて可能な機能を残して展開できないか?とか。モデル名は、メタライドからグライドライドにするとか。モデル名を考えたりするのも主に企画チームの人たちです。次に平面のデザインチームになります。
–––デザイン画からその後は?
その次には立面(キャド)を作る設計技術部。その後に生産工場という流れになります。デザイン画から立体的なシューズにするために細かく資料にまとめて生産工場に発注します。それからサンプルが上がってくると、ディテールに至るまでチェックして修正をかけるんです。もっと機能を良くするためにこう直してとか、この状態だと生産ができないから違うものに変えようとか。
–––そのやり取りが続くんですね
はい。実際にランニングシューズとして量産できるまで、この作業を何度も何度も繰り返して形にしていくんです。すべては消費者にとっていい靴を作るために。シューズ作りにおいて、関わる部署、スタッフが一番多いのが開発担当の特徴といえますね。
–––その後、生産へ
はい。生産しているメイン工場はベトナムにあって、何千人も工員さんがいる大規模な工場で作っています。開発段階からランナーに実際に長期間着用してもらってシューズの耐久性を確認していますが、最後は品質管理部とも一緒に確認して、へたれとか、壊れがないかとか。大量生産が可能なものなのかを判断し、品質管理部が品質を保てるかどうかを判断します。屈曲すると、部分によっては破けやすいとか、この生地で大丈夫か?みたいなこととか。
–––機能というとスポーツ工学研究所もありますよね
はい。機能的な部分はスポーツ工学研究所が司っているので、研究所スタッフとよく機能的な話をします。本社から車で30分ぐらいなので。
–––開発担当って本当に色々な部署と関わっているんですね
そうですね。まったく何もない企画の段階から、平面を立体にして最終サンプルのOKが出るまでのすべてですね。あとは実際に生産に入って店頭に並ぶことになるので。そしてマーケティング部にマーケティング活動用にプロダクトのスペック情報を共有したりするのでマーケティングチームとも絡みますね。
–––あらゆる部署に関する知識がないと務まらないですね
そうですね、はい。
–––その中でも一番コミュニケーションをとる部署といったら?
やっぱりデザインチームになりますね。相棒って言うとあれですけど、一番近い。ただ自分でもデザインができるから、もうちょっとこういう風なデザインにできるんじゃないのかっていうことも、先輩に対してもちゃんと伝えますね。平面でデザインしたものを実際に立体的にしたときに不可能なことがあるんです。デザイナーは嫌でも、機能的に絶対に必要なこともあります。するとデザイナーは、見た目が変わるから嫌だとか(苦笑)。デザイナーがイメージしている線を変えなきゃいけない時には、ぶつかりますね。やっぱり、消費者にとっていい靴を作るためにお互い一生懸命なので、その辺のせめぎ合いはしょうがないですね。
働いてみて分かったこと
–––実際に入社して分かったことを教えてください
悪い意味じゃなくて、結構、泥くさいなと思いましたね。僕が入社した時って、あまりイラストレーターとかも使ってなくて、最近こそイラストレーターのほうが多いですけど、結構みんな手書きだったんです。そもそも靴と言うものは職人気質の強いプロダクトなので、良い意味でそれが継承されてると感じました。
–––靴作り、開発をやる上で大切なことは何だと思いますか?
履いた時に気持ちいいっていうこと。それは絶対外しちゃいけないところですね。それはもう履いた時、足入れした瞬間にちょっとでも違和感があるっていうのは、服でも何でも嫌だと思うのでそこは大切にしています。今までの開発で苦い経験や失敗、不良を起こしてしまったこともあるので、今ではいい経験になっています。
–––やっぱり履き心地が絶対ということですね
そうです、履き心地の良さは大前提です。そのうえでに見た目や機能がいいことですね。靴ってラストがベースにあって、ラスト通りに仕上がらなかったら、意図通りではなく履き心地にも影響するので、最終的には仕上がりが重要になります。
–––仕上がりに関しては生産する工場側の問題もありますよね
そうです。ただ、こちら側にも原因があることもあります。材料構成が悪いとか、原因は色々あるので、こちらから指示した内容では「どんなに頑張っても、綺麗には作れません」と現場から言われることもありますし(苦笑)。コート系は材料が硬いので、履いて足を動かしたら折れじわが出来て、それが足に刺さるとか。ランニング系だと、材料構成がシンプルなのでラスト通りの仕上がりにするのが難しかったりとか。
–––自分が履いてみてっていう肌感覚が大事になります?
とても大事です。それはバスケをしていた経験も役に立っています。ランニングシューズにおいても、まずは自分で履いてみて、履いた瞬間にいいと思えるか?走ってみて良いと思えるか?がすべてです。
–––ベトナムの工場にも行くんですよね
もちろんです。多いときは年3回とか4回とか。1回行くと1~2週間位はベトナムに滞在します。サンプルが上がったら、チェックして、また指示を出して。基本的にその繰り返しですね。
写真キャプション:
ベトナム工場への出張中に石指氏が撮影した写真。ベトナムは今、目覚ましい発展を遂げ急成長している国のひとつ。一年の内、多い年は一ヶ月以上はベトナムで過ごす。一番下の写真は、業務後に工場メンバーとバスケットをしてシュートを決める瞬間の石指氏。
–––ちなみにメタライドは何回サンプルをやり直したんですか?
メタライドの工場はベトナムではなく、中国だったんですけど、大きくは6回やり直しました。サンプリングステージで言うと7回ですが、この7回以外に細かい作り直しを何度も行いました。工場のスタッフもかなり苦労しましたが、一緒にいいシューズ作りましょうよって感じで巻き込んで、士気を高めながら一緒に作り上げていくっていうのも、開発担当のスキルのひとつですね。
–––大変なこともありながら、一番やりがいを感じる瞬間はどんな時ですか?
やっぱり完成した靴の評価がいいとホっとしますし、やりがいを感じます。特にランニングは、バスケットボールシューズに比べてユーザーが多いので、色んな人から評価をもらえるっていうのは、自信にもつながりますね。バスケ担当だった時は、選手が評価してくれると嬉しかったですね。
–––メタライドの評価は良かったですか?
はい、良かったです。お陰さまで(笑)。メタライド、グライドライドともにどちらも評価が良かったのでホっとしました。
将来の夢、今後の目標
将来の夢は、
まったく新しいランニングシューズを開発し続けて、
ランナー達に驚きを与え続ける事。
–––将来の夢、今後の目標を教えてください
夢はアシックスに入社することで一旦叶えちゃってるんですよ。なので今後の目標としては、もっとランニングシューズを極めて、ランナーに響く新しいアイデアを生み出し続け、ランナーにとってアシックスのランニングシューズが確固たる地位であり続ける様にしたいですね。アシックスのランニングシューズを指名買いしてもらえる様な。ランニングシューズ業界自体が今、どんどん変わっている業界なので、アシックスとして新しい物を開発しないといけない使命があるので頑張りたいです。
–––ヒコ・みづのOBとして後輩にアドバイスを
色んな靴を沢山作ったほうがいいと思います。靴を作れる現場を持ってるというのは、靴専門学校の強みであり、大学では簡単に靴は作れないと思うので。やっぱり、実際に靴を作ることによって靴の理解度が深まるし、知識も増えて、靴のことが分かってくると思います。
–––ヒコ・みづのにいた3年間で何足ぐらい作ったんですか?
20足位は作りました。いっぱい作ってほしいんですけど、凝り固まらないでほしい。学生がやってるのって結局は手作りなんで、実際に作るプロダクトは手作りじゃできない技術が日々進化しています。そういうところを知らないで、これしかできないって思い込んじゃうと視野が狭くなるので。僕自身が入社して自分で駄目だと思ったところです。あと気づいたら自分で動くってことが大切だと思います。かつての僕がそうだったように(笑)。
Voice of Partner
“Hiroaki Nishimura”
ASICS
Design Team
Design Department
Performance Running Footwear Division
開発担当の石指氏が一番コミュニケーションをとる部署だと語っていたのがデザインチーム。日々奮闘する彼の仕事ぶりをデザインチームはどう評価しているのか? デザイン部デザインチームの西村裕彰氏にアシックスのデザイナーとしての仕事内容と石指氏について取材した。
西村裕彰
株式会社アシックス
パフォーマンスランニングフットウエア統括部
デザイン部 デザインチーム
シューズデザイナーの仕事について
–––デザイナーの具体的な仕事と内容を教えてください
企画チーム(COE)とのブレインストーミングで決めたコンセプトのもと、どんな人に合わせるのか?どんな靴を作るのか?っていう塩梅をイメージしつつ、デザイン画を描いていきます。今は絵に起こさず、はじめから立体を直接作ってしまったりとか、コンセプト自体をデジタルシミュレーションさせて、立体を描かせるみたいな、ちょっとディレクション的なやり方もしています。
–––シューズをデザインしていく上で一番大事なこと、重要なことを教えてください
多分、全部重要ってなると思うんですけど私が今一番、重要視してるのはアイデア力。
–––アイデア力を上げるにはどうしらいいのでしょうか?
色んなやり方があると思いますが、私は「生むための方程式を自分の中で探し出す」っていうのがすごく重要だと思っています。自分が思ったことをすぐ出せる、形にできる、ということは、自分の中にアイデアがないと出せない。常に考えて、見るものすべてを自分に貯めていること。その熱量が大切だと思っています。もちろん市場全体をフラットで見られないといけないですし、物には絶対に周りにノイズが付いているから、本質を見られなきゃいけない。よくゼロを1にするとか言いますけど、1を2にできるっていう能力もすごく重要な能力だと思っています。
–––生むための方程式?
私はどんな事でも自分の経験を自分なりに頭の中で整理しています。頭の中に経験の地図を作るイメージです。経験が増えれば増えるほど地図が広がる。これはデザインのヒントとなる道標のようなものです。デザインする時に、新しさや課題に対する解決方法を見出すために、このヒントたちを掛けたり足したり引いたり、どのヒントをどの方法で計算すれば最もいいものができるのか?を徹底的に考えます。これが「方程式を探し出す」 っていう意味です。安定的に自分のアイデアをすぐに出せる、いっぱい出せる、ということは、自分の中にヒントと方程式が整理されていないと出せないと思っています。感性でアイデアが出せるタイプではないので(笑)。
開発チームの石指智規氏について
–––開発担当の石指さんと一緒にどんなことをやってらっしゃるんですか?
2Dや3Dっていう、仮想のものを具体化する為にアプローチ方法を一緒に考えます。石指は開発の立場から、デザイン画を元に生産プロセスがこうだからこういう風にしましょうとか、生産効率がもうちょっと必要だからこういう風に形を変えましょうとか、提案してきます。もちろんそのやり取りの中で「西村さん、このデザインでは機能が厳しいんで、こういう風にしないと無理です」みたいなシビアなことも言われたりします(苦笑)。
石指は、失敗しても失敗しても折れないんですよ。
何があっても、もう一度絶対に来る。
–––そう言われたらどうするのですか?
それはお互いが譲れないところがあるので「いや、ちょっと待って、これはここだけ変えて一度これで行こうよ」みたいなやり取りをします。それでもお互いが譲らず、結論が出ない時もあります。
–––結論が出ない時は、どちらが折れるのですか?
その結論って、ファーストサンプル(初期段階)を作らないと分からないんです。じゃあ1回作りましょうってことで、両方作ってみて実際にまた体感して判断しましょう、ということになります。でもサンプルをひとつ作るのに大変なコストが掛かるんです。理想的には全アイデアのサンプルを作ればいいんでしょうけど、毎回やる訳にはいかない。限られた予算の中でやってかなきゃいけないのでよくもめますね。
–––西村さんから見て石指さんの仕事ぶりはどう映ってるのでしょうか?
アシックスに就職する前に大量の手紙を送ってたじゃないですか。そのことを私は初めて知ったんですけど、やっぱりなと思いました。石指は、失敗しても失敗しても折れないんですよ。何があっても、もう一度絶対に来る。だから、それがさっきの何度も手紙を送り付けていたっていう。言い方は悪いですけど、今もそのままだなと思いました。最近は、ちょっと怒ったらメール1本で「辞めます」って来なくなる社員も多いと聞くじゃないですか。そう言った意味では会社の中ですごく個性的ですね。やっぱり根本的なものが違うんです。自分の中で、これっていう絶対的なものを持っているんだろうなって私は見ています。そう考えると石指は、結構泥くさい部分もあって、アシックス向きというか特にこの会社の開発に合っていると思いますね。
彼はキーパーソンなんです。
会社の空気を変え、士気を高めていってほしい。
–––今後、石指さんに期待することは何ですか?
一緒にやって4年目なんですけど、メタライドを開発して、石指も自分にすごく自信がついたと思うんですよ。メタライドをきっかけに会社の雰囲気も良くなってきましたし。会社の業績って、会社全体の雰囲気にすごく影響するなって感じます。目に見えないものですけど、大きく動きだす雰囲気ってすごく重要だと思うので、メタライドがその雰囲気を作るキッカケのひとつになった。その勢いっていうのを石指がみんなに発信する一人となって、会社の空気を変え士気を高めていって欲しい。会社全体の雰囲気ももっと好転すると思うので。そう言った意味では彼はキーパーソンなんですよ。誰でも出来ることじゃないし、1つの商品を生み出すより、会社生活の中ですごく重要なことなんじゃないかなと思っています。
–––シューズデザイナーを目指してる学生にアドバイスをお願いします
私の経験からすると、今はいろんな経験をしたほうがいいっていうことだけですね。それは靴作りだけじゃなく、しょうもないことでもいいですし、でっかいことでもいいと思うんですけど、色んな経験をして、色んな失敗をして、色んな角度で色んなものを見てみる。色んな経験値があるほうが、絶対にアウトプットも多くなるし、アイデア力を持つ事ができると思う。
About ASICS
1949年、鬼塚喜八郎氏が「スポーツを通じて青少年を健全に育成すること」を願って神戸で創業したアシックス。ブランド名の由来は、紀元2世紀初めのローマの風刺作家ユベナリスの名文句”Anima Sana In Corpore Sano”の頭文字。世界に通用する機能的で高品質な商品作りのため、1985年にアシックススポーツ工学研究所を設立。高水準で安定した物づくりで日本が誇る世界のトップスポーツブランド。
INFORMATION
取材協力:
株式会社アシックス
パフォーマンスランニングフットウエア統括部
兵庫県神戸市中央区港島中町7-1-1
650-8555
078-303-1395
asics.com
専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ
東京都渋谷区神宮前5-29-2
0120-00-3389
www.hikohiko.jp