About hide-base project Yu Sugiyama Interview
via
SHOES MASTER
Web SPECIAL
Photo:Yuta Okuyama(Ye)
ハイドベースプロジェクトでもうひとつ。
代表、杉山 優氏が語ったブランド哲学と
「いいスニーカー」の条件を紹介。
杉山 優/ ハイドベースプロジェクト 代表(TOSTO(株))
About
hide-base project
Yu Sugiyama(hide-base project representative)
Interview
About hide-base project Philosophy
(ハイドベースプロジェクトの哲学)
–––他ブランドにはない「ハイドベースプロジェクトのプロダクトの魅力」とは何でしょうか?
いい意味で他のブランドがやらないことをやっている所ですかね。厚い一枚革だったり、菊穴ミシンを使ったり、すべて金型を作って、モールドを起こしてインソールも作ったり。他にないものを集約して、ひとつのプロダクトに落とし込んでいる。スニーカー好きの僕が今までで培ってきた理想のスニーカーをすべて自社工場で出来るのがハイドベースプロジェクトの魅力かなと。
–––杉山さんが考える「理想的なデザイン」とは、どんなデザインですか?
やっぱり昔に夢中になった、持ってて楽しい、履いても楽しいっていう時代のスニーカー。今後はもっと、自分の当時のスニーカーの感じが出せるようなモデルも作りたいと思っています。なので、置いてもいいし、履いてもいいっていうのが理想的なデザインだと言えますね。
–––杉山さんがプロダクトを企画、製作する上で一番大切にしていることは何ですか?
やっぱり自分が履きたいって思うものを作ることですね。そこに尽きます。そして履き心地がいいこと。自分が靴を作っている以上、そこは最低限というか当たり前かなって。履き心地が良くなければ靴じゃないと思っていますから。
–––ハイドベースプロジェクトをどんな人に履いて欲しいですか?
自分達の背景に共感してくれて、応援してくれる方に履いてもらえたら嬉しいですね。年齢で言うとやっぱり自分世代の40代の方とか。いわゆる雑誌『Boon』にやられて、スニーカーにやられて、青春時代をスニーカーにつぎ込んだスニーカーヘッズ。そして大人になった今でもスニーカーを愛し続けている『SHOES MASTER』世代の方に履いてもらえれば最高ですね。サイズレンジがユニセックスなので、ファミリーで履いてもらえたら理想的です。
About Sneaser by Yu Sugiyama
(個人的なスニーカー変遷)
–––はじめて自分で買ったスニーカーを教えてください
自分の小遣いで初めて買ったのは、中学2年の時、ジョーダン 6ですね。バスケ漫画の『SLAM DUNK』に影響を受けた世代で、それから高校、大学と雑誌『Boon』を毎月愛読してスニーカーを買いまくりました。もちろん、買えないスニーカーも多かったですけど。当時はネットも普及してなかったので、母親に頼んで現金書留でお金を送ってもらって通販で、アディダスのアディマティックやプーマ スウェード、コンバースのウェポンとか色々買っていました。高校生の頃、復刻版のジョーダン 1が買えた時は本当に嬉しかったです。今まで300足以上は買って履いてきたと思います。あと、倉敷市出身というのもあって、デニム、アメカジも大好きで、スニーカーだけでなく、レッドウィングのアイリッシュセッターもよく履いていました。
–––杉山さんが考える他の靴にはない「スニーカーの魅力」とは何でしょうか?
外出する時、普通は服を着替えて、靴って一番最後じゃないですか。僕は靴中心で何を履くかが一番大事でなんです。靴で洋服が全部決まってしまうぐらいの位置付けで。今日はこれ履こう、じゃあ服何着ようか?みたいな感じなので、それは革靴とかにはないですよね。靴単体で、その他のコーディネートも引っ張るぐらいの力がスニーカーにはあると思います。何のスニーカーを履いているかっていうのが、自分のアイデンティティーを表すみたいな。一番象徴的な自己主張のための道具というか、履物だけどガジェットみたいな感覚がある所も魅力だと思います。
–––杉山さんが考える「いいスニーカー」の条件とは?
見た目のデザインはもちろんですけど、履き心地の良さも、ものすごく求めますね。靴を履いて家を出て、少しでも違和感あると一日中気になるじゃないですか。一度違和感があると、そのブランドの2足目はもう二度とないですもんね。なので、いいスニーカーの絶対的な条件は、デザインと履き心地の良さですね。
杉山 優(すぎやま ゆう)
1978年、岡山県倉敷市生まれ。小学生時代はソフトボール、中学は軟式野球、高校、大学は硬式野球部に所属する。大学1年の当時、交際相手を亡くし、人生観が一変。バックパッカーとしてタイ、カンボジア、ニュージーランドなどを放浪する。大学卒業後、卒業高校の非常勤講師として野球部コーチを務める。その後、地元でのモノづくりを志し、倉敷市のシューズメーカーにて13年間、様々な靴作りを手掛ける。2017年、TOSTO(株)に入社。児島にスニーカー工場(岡山工場)を立ち上げ、2022年に夢だった自身のブランド、ハイドベースプロジェクトをスタートさせている。